2011年6月30日

ハムレットの舞台、クロンボー城

デンマーク旅行記中です。


9月25日(土)

クロンボー城はシェイクスピアの「ハムレット」の舞台になったお城。
そして世界遺産です!


お堀沿いをぐるりと回ってゲートをくぐると、左手に・・・

シェイクスピアさんいらっしゃった


私たちは必死に、どこだ、どこだ、と探したけれど、誰も立ち止まってみている人もいなく、
ちょっと見つかりにくいところだし、ひっそりいらっしゃいました。




入り口のゲートをくぐると広場


建物の中にチケット売り場があるのですが、前日、コペンハーゲンカード(24時間用)を購入していたので、この日の電車賃やここの入場料(30DKK)はカードのおかげで無料。
入場料では地下牢と教会のみは入れるのですが、私たちは全部入れるフルセット(90DKK)を30DKK引きで購入しました。

入る場所ごとに角を取られるチケット


さらに!
たいがいのホテルのロビーに、ポストカードが売られているようなアイアンのラックがあって、
そこに↓のような名所のカードが置いてありました。

Take Free!


で、中には割引券になるものがあるのです。

行けなかったフレデリクスボー城のもの


クロンボー城のものを提出して、入場料無料に加えて20%OFF!
お得。


まずは地下の牢獄ルートから。

だんだん暗く・・・

入り口だけ明るいけど、どんどん暗くなり、中はホントに真っ暗です。
真っ暗すぎて、写真とっても意味ないってくらい真っ暗です。
目をこらしても何も見えない、ってくらい真っ暗です。
入り口あたりに懐中電灯売ってました。


所どころに小さな窓があって、うっすら明かりが入るところもあります。
その窓は監視用の明かり取りだったみたいで、監視役の像ががっしり座っていたりして、突然遭遇するのでびっくりします。


出口付近。何があったか忘れた。何かあった。



ここを出ると、さっきの広場に出ます。

ここ。


別の入り口からチャペルへ。

きれいでした。落ち着いた感じ

装飾も細かくて。

天井や壁の白がやわらかい。

イスのサイドがデコラティブ。


イスの上部にはマッチョな裸のおじさん??

祭壇の反対側にはパイプオルガン。

水色のパイプオルガン。

床は市松模様。あんまないよね?

窓はステンドグラスではないのです。


出るとまたさっきの広場へ。

ここね。



今度はチケット売り場近くの入り口からお城の内部へ。

これがとっても広くて、マルメのマルメヒュースの疲れを思い出すくらいの迷路っぷりです。
そんなわけで、私達もちょっと学習しまして、このお城内部はサックリと回ろうと思いました。
が、それでもちゃんと回ったので、やっぱり疲れました。。。

こんな迷路、よく住んでいたな…。

大砲いっぱい

狙う先はスウェーデン!

閉じ込められてる気分

美しい回廊

ダンスホールだっけ?晩餐会とかするところ

天井は木の柱が横に渡してあるような造りです。けっこうむき出しな木。



サックリ見ていたので他はあまり写真撮ってないのですが、
とっても広い食堂があったり、タペストリーの展示や、海洋博物館もありました。

海洋博物館には船の模型や昔の地図やかっこいいものがたくさんありました。
はい、疲れていたので写真を撮る気なしでした。。。


クロンボー城を出た後、ヘルシンオアの街をぷらっと。
こじんまりした街でしたが、お店やレストランがちょこちょこあって、かわいいお家もたくさん。
落ち着いて生活できそうな街でした。
もっとブラブラしたかったところです。


私たちは何かとキッチングッズのお店に寄るのですが、ここでも。

キッチングッズのお店かと思いきや、インテリアグッズもあるお店でした。
そこでとってもかわいい布地を見つけたのですが、大柄でかわいらしい絵柄だったので、男の子の部屋のカーテンやベッドカバーにしたらいい感じ。(99.95DKK/m=¥1500、ちょい高い!)
でも、私に子供いないし、人の子に押し付けるのもイヤなので、ぐぐっと我慢。
ホントにかわいくて、何度も行ったり来たり。

結局布地は買わなかったけど、同じ図柄のペーパーナプキンを買いました。
その図柄にはデンマークの兵隊さんが描かれているのですが、布地の兵隊さんはかわいいのに、ペーパーナプキンの兵隊さんは全然かわいくない。
でも、その布地がかわいかったなーと思い出せるよう、記憶を呼び起こすために買ってみました。
まだ、使ってません。



ヘルシンオアの駅へ戻り、電車の出発時間まで10分ほどあったので、船乗り場の方へ行ってみました。

日本の船乗り場とは全然違う。
とってもおしゃれ。

すてき

少年がピースサインしてくれた!



電車に乗って次はルイジアナ美術館へ。


乗っていいものたち




=ルート=


より大きな地図で ヘルシンオア を表示






     

2011年6月11日

ヘルシンオアへ

久しぶりのデンマーク旅行のつづき。


9月25日(土)

宿泊していたラディソンブルロイヤルホテルのカフェで朝食、でもよかったのですが、
195DKK(≒3000円)も食べられないな、と思い、隣のトラベルインフォメーションの中にある
パン屋さんLAKAGEHUSETで購入。(43.5DKK)


クロワッサンなど。朝は2個で十分。





この日の予定は郊外へお出かけ。


Yさんとは乗る駅が違うので、9時半頃コペンハーゲン中央駅を出発する
Hillerødヒレロズ)行きのS-togのE線に乗ろう!と約束してました。

E線は10分ごとの発車なので、9:25中央駅発の電車に乗り、Yさんにメール。

2つ先のNørreport(ノアポート)駅で無事合流。






順調、順調と思っていたのですが、途中のHellerup(ヘレルプ)でみんなが降りてしまったので
慌ててよくわからないまま私達も降りました。


アナウンスはデンマーク語オンリー。
TV画面のインフォメーションは英語だけど、緊急的なインフォメーションは書いてない。。。
土日はダイヤが変わるのかな、と思い時刻表をくまなく穴が開くほど見てもそんなこと書いてない。


ウロウロしてみたけどわからなかったので、切符売り場のおばちゃんに聞きに行くことに。


すると、ヒレロズ行きはないよ、とのこと。
ガーン・・・
じゃあ、ヒレロズへはどう行けばいいのか聞くと、
B線でLyngby(リュンビュー)へ行き、そこからバスで1時間とか・・・
ガーン、ガーン・・・
時間掛かりすぎ。


でかっ・・・


上の時刻表の画像を見ると確かに「E Hellerup」と書いてありますね。
でも、ホームにある、後〇分で△△行きの電車が来ます、っていう掲示板にはヒレロズと書いてあったし、電車の側面に表示されてる行き先もヒレロズでした。


なんでヒレロズ行きって表示のくせにヒレロズに行かないんだよー
とブチブチ思っていたら・・・
Yさんがまたまたナイスアイデア!

Helsingør(ヘルシンオア)へ行ってそこからヒレロズ行きのローカル電車で行けるのでは?
って。


そうだ、そうだ!
ローカル線のラインが地図では薄くて存在感薄かったけど、それで行けるかもね、
と思ってヘレルプからDSBでヘルシンオアへ向かうことにしました。



日本へ帰ってからスカンジナビア政府観光局の人に聞いたら、
よくわからないけどうちのスタッフもヒレロズまで行けなかったと言ってました、
とのお返事。
えー!なんで政府観光局の人もわからないんだろう???

こうなったら現地住民に聞くしかない!
ってことで現地情報満載の楽しいブログを書いているりんごさんに聞いてみると、
どうやらE線は工事中で途中までしか行けないみたい、とのこと。
日本みたいにアナウンスは親切じゃないからわかりにくいよね、って。
さすがです!スッキリしました。


ヘルシンオアへ到着。

ホームから見た駅舎

外から見た駅舎、重厚


駅のすぐ横にはスウェーデンへ向かう船乗り場。

大きいよー

駅を出たところにツーリストインフォメーションがあるので、
そこでローカル線について聞きました。

すると、さすがローカル!1時間に1本のみ、とのこと。
しかも小回りルートと大回りルート(直線ルートと迂回ルート?)があり、
どちらもヒレロズへは行くけれど、出発時間が中途半端。
ここへ来て、ヒレロズ行きをあきらめました。


ヒレロズには何があるかというと、Frederiksborg Slot(フレデリクスボー城)というお城。

ここは16世紀にクリスチャン4世がルネッサンス様式の住居にリフォームして住んでいたけど、
19世紀に火事に遭い、カールスベア社(カールスバーグ)の創業者J.C.ヤコブセンが援助して再建されたとのこと。
今は国立歴史博物館としてデンマークの歴史を物語る絵画や装飾品が展示されているそう。
広大なバロック庭園もあり、なかなかおもしろそうなのです。
しかし今回は断念。


次の目的地はここヘルシンオアにあるKronborg Slot(クロンボー城)。

デンマーク語で-borgは「城」。
だから、クロンボー=クロン城ってことで、クロンボー城=クロン城城ってこと・・・・


お城へ小道を選んで歩きます。
お店も色々あります。

小道が好き
窓辺に花を飾っている家多い


玄関の色いいね


途中でSct. Olai Kirke(聖オーライ教会)に遭遇。

曇り空

 見えてきました、クロンボー。


海際にあるので、すぐに見つけることができて迷うことなく辿り着けます。

途中、ローカル線をまたぐ踏切。

レゴかと思いました。。


この踏切を渡るともうすぐにクロンボー城の入り口です。


このあたり、大砲のドカーン、ドカーンというスピーカーが隠されています。

いよいよお城へ入ります。


=ルート=


より大きな地図で ヘルシンオア を表示


2011年6月4日

311+1

   

つづき。


朝、社長から電話が掛かってきて、家まで車で送ると言ってくれました。
JRはもうすぐ再開する予定、とニュースで言っていたけど、
混雑するのは想像できるのでとてもありがたかったです。


社長はオフィスの近くに住んでいて、
当日は休みを取って東京でのセミナーに出ていたようです。

送ってもらう車の中で、前日の様子を聞きました。


セミナー後、地震が起こり、目黒にある知人宅へ向かおうとしていたけど、
交通機関も麻痺し、タクシーは手を上げても止まってくれない。
こういうとき、タクシーは多くの人が待つタクシープールへ回るようになっているんですよね。

目黒へ向かうのを諦め、別の知人がたまたま出張で東京へ来ているから
その人が泊まっている五反田のホテルへ向けて歩くことにしたそうです。


だいぶ歩いて、ダメもとで通りかかるタクシーに手を上げたら幸運にも止まってくれ、
タクシーに乗れたら五反田のホテルではなく、鎌倉の自宅へ戻ることにしたけど、
道路は相変わらず渋滞。

家に帰り着いたのは午前1時ごろ。



なかなか進まないタクシーの中から歩いて帰る人たちを見ながら色々考えたのでしょうね。


家に帰ってからすぐに、今度は自分が車で鎌倉近辺でしゃがみ込んでいる女の子2人組みや
一人で歩いていた少しお年を召した男性に声を掛けて乗せて送り届けたたそうです。

夜中だし、街灯もついていない真っ暗な中で女の子2人で座り込んでいたり、
明かりもなく歩いているのは危険です。


最初に声を掛けた女の子は相模原と厚木とか県内だけど少し離れたところ、
その後声を掛けた男性は三浦の方だったと言っていたと思います。

三浦まで歩いたら5時間くらい掛かるそうです。
その男性は歩いたことあるから大丈夫だよ、と最初断ったけれど、
いやいやでも危ないから途中までしか行けないけど途中まで乗ってください、
と言って途中まで送ったそうです。


みんな自分のことでいっぱいいっぱいなときに、
すぐに人のために動ける人ってやっぱりすごいなぁ、と思いました。
さすがだと思いました。


そして、広い部屋で一人ヌクヌク寝ていたことを再び反省したのでした。


高速道路は空いていて、1時間くらいで家に着きました。
電車だったらこんな快適にスムーズに帰れなかっただろうなと思うとホントに感謝です。


家に帰ったらゆっくりお風呂に入って、改めてテレビで現状を見てみよう。

と思って玄関を開けたら・・・


めちゃくちゃになっていました。


震災当日は、お気に入りの花瓶が割れてないかな、
ご飯を炊いている土鍋が落ちて割れてないかな、とか心配してましたが、
想像以上にめちゃくちゃでした。

こんなにひどいとは想像していなかっただけにドッと疲れました。


割れてしまったものもいくつかありましたが、
これだけは割れないで!と思っていたものが無事だったのでよしとします。


冷蔵庫の扉が開きっぱなしで部屋が冷えてました。
無駄な電力を使ってしまいました。

しょうゆのビンが倒れていて中身がこぼれて、部屋がしょうゆ臭かったです。


当時テレビはブラウン管のテレビで、数日前に新しいテレビを買っていて
震災当日の夜に届けてもらう予定でした。
実際、届けられたようでした。
私が帰れなかったので受け取れなかったのでした。


そのブラウン管テレビがゴロ~ンと前に転がり逆立ち状態で転がっていました。


まぁ、もう捨てるテレビだからいいや、
と思って付くかどうかも確認しませんでした。


確かに不安定な置き方だったなぁと思います。






そんなわけで、ゆっくりお風呂にも入れず、テレビで現状を見ることもできず、
部屋の片付けを始めました。


洗面所はスプレー類が転がっていて、床に何かの液体がこぼれていました。

トイレの棚に花のダイアリーを20冊くらい並べてあったのですが
落下して1冊は濡れてヨレヨレになってしまいました。
便器のフタはいつも閉めるようにしているので、その中に落ちたものはないのですが、
ダイアリーが濡れた水分は何だったのかが不明。




キッチンのシンク横に置いている
お皿を洗った後に置いておくカゴやら
フルーツを盛ったりするのに使っている大きめの
お気に入りのお皿などが
見事に全部シンクの中に落ちていました。



本棚。
はめ込み部分が外れて
上に乗せていた花瓶が落ちて割れたものも。








冷蔵庫の上に乗せていたトースターが落ちて
電熱部分のガラスがちょびっと割れていた。
でも、機能には問題なさそうなのでそのまま使用中。








最初はどこから手をつけたらいいのかわからなくて呆然としてました。


片付け始めてしばらくすると、再配達を頼んでもいないテレビが届きました。


あと本棚周りだけとなったときに疲れたので翌日に残し、その日の片付けを終了しました。

テレビの箱を開けて接続し、被災地の様子を見ました。
胸が痛みました。
涙が止まりませんでした。



次の日も残りの片づけをし、この2日で背中が筋肉痛になりました。

311

そろそろデンマーク旅行記に戻ろうかと思います。
まだ続いてます。。。


ですが、その前に地震当日のことを記録として残しておこう。




2011年3月11日(金)、震災当日。
私は職場(鎌倉)にいました。

その日は休みの人が多く、オフィスには3人しかいませんでした。


地震が起こる時って、ミシッと小さな音がしてちょっと空気が変わるので、
あ、地震が来る、とわかりますよね。

その日もそんな感じでした。


あ、くる。


ゆっくり、ゆっくり揺れ始め、なかなか治まる気配がない。
治まるどころか揺れが大きくなっていく。
なんかいつもと違う、と思いました。

こわいっ・・・

どこまで揺れが大きくなるかわからず、
横にゆっくり揺れて、今まで経験したことない大きな揺れでした。

どうしていいかわからず、机をつかみながら固まってしまいました。

他の2人は出口の確保と言って扉を開けてました。
オフォスは古民家で木造の平屋です。
木造なので家がゆがむと扉が開かなくなるのです。

私は身の安全を確保しようととりあえず机の下にもぐろうとしましたが、
崩れるかもしれないから外へ行こう、と言われ、我に返り携帯だけ持って外へ出ました。
崩れるかもかも、と言われた時はショックでした。
家が崩れるとは現実として感じたことがありませんでした。

外へ出てもしばらく揺れていました。
外の木々も風のせいではなく幹から揺れている様な感じでした。



揺れが治まってしばらく待ってからオフィス内に戻りました。

オフィスは築80年なのに?80年だから?どこも壊れたりヒビが入ったりもしませんでした。
瓦が落ちたり、壁が崩れたりすることもなく、
紙きれ1枚、デスクから落ちているものがありませんでした。

私の席のすぐ上には最近設置した神棚があるのですが、
神棚に乗っている小さな盃や茶碗なども落ちてもおかしくないのに落ちていませんでした。

平屋だから揺れの影響をあまり受けずにすんだのかもしれません。
縦揺れだったらまた違ったのかも。



屋内に戻ってすぐに今度は停電になりました。

すぐに復旧するだろうと待っていましたがなかなか戻りません。
PCが使えないと仕事ができないし、気分的にも落ち着かないし、
とにかく携帯からネットに接続して情報を得たり、
持っていたiPod nanoにラジオ機能があるのでラジオを聞いていました。
そこで三陸沖で震度7ということを知りました。
ただ、震度7がどんな規模なのか感覚としてはわかりません。


業務では、毎日定時にデータを送らないといけないのに、
そのための作業もできなく、電話番号などの情報もPCの中。
停電後1時間くらいはバックアップ電源で通じていた電話も電源が切れ、
携帯電話の電波も徐々に弱くなってきました。

偶然にも3人ともキャリアの違う携帯をもっていて、
auとdocomoは停電後すぐに電波が弱くなったけど、
softbank(私!)はその二人より長く電波が通じていました。


地震後、30分くらいした頃、家族や仙台に住んでいる友人に
安否を確認するメールを送りました。

家族からは割りとすぐに無事の返事が来ましたが、
仙台の友人からは7時半頃ようやく返信が来ました。



電気が復旧する気配がなく、寒くなってきたので、
18時ごろに避難所へ行くことにしました。

市の防災センターの放送で避難所を告げていました。


鎌倉にはあまり大きな通りがなく、車が通る主な通りは大渋滞。
若宮大路という、鶴岡八幡宮の表参道は海まで一直線です。
津波警報がでているため、通行止めとなっていました。


お店も家も街灯も信号も真っ暗で、人が黙々と歩いていて、
空を見上げると星がたくさん見えました。
夜空の黒も真っ黒ではなく、宇宙に漂う星の数々がつくる色のヒダが見えました。


地震という自然現象でもたらされた停電(これは人間の意図的に)によって
改めて意識した空の上の宇宙。
不思議な感じがしました。


避難所となっている小学校へ向かう途中、
コンビニ前にある公衆電話からデータを送る先(東京)に連絡することにしました。

公衆電話は長蛇の列で、テレホンカードは使えず、硬貨のみ。
でも、電話を切った後、硬貨は戻ってきました。
緊急事態の対応に切り替わったのですね。

「え!停電してるんですか?」
と言われ、電話の向こうで
鎌倉、停電してるんだって~
と言う声が聞こえ、とっても距離を感じました。


後から聞いたところによると、色々な機関、企業が集中する東京を停電させないために
周りの地域の電気を落としたそうですね。
特に、鎌倉は観光地で、観光=娯楽ですからね。

電話の向こうの取引先の方も関東で停電している地域があるなんて知らなかった、
という反応でした。 
そうですよね。


JRが止まってしまったので、観光に来ていて帰れないたくさんの人が
駅付近で行き場を失っていました。



避難所の小学校に着くと、いっぱいになったので隣の市役所へ行くよう言われました。

市役所の中も人がいっぱいで、ほとんどが観光客のようでした。
外国人の方もたくさんいました。
不安だったでしょうね。

私達は会議室へ誘導され、クッションのあるイスに座れたので、良かったと思います。
小学校の体育館だと固い床に直接座っていたんじゃないかな。

特に食料が配られたりはしていませんが、給茶機のお茶は自由に飲めました。
観光に来ていた人たちは、買ったお土産を食べていたり、コンビニで食料を調達してきていました。


時々、職員の方が、現状を知らせに各部屋を回ってくれていましたが、
なかなか停電が解除されませんでした。


そこで待っている間にも、緊急地震速報が何度も携帯に鳴り、
(Softbankにはその機能がありません。。。確か1機種のみ。)
電波も繋がりにくく、今日はこのまま市役所に泊まるのかな、とおぼろげに思い始めていました。



21時ごろ、オフィスがある地域の電気が戻ったと職員の方がアナウンスに来てくれ、
私達はオフィスへ戻りました。


オフィスへ戻ってブレーカーを上げて電気がついた時は
おー!!
と思わず声があがりました。


突然の停電でしたが、サーバーなども運よく無事で、
その日の仕事を片付け、近くのホテルに電話をかけ始めました。

1人は車通勤で近いので問題ないのですが、
私ともう一人は電車が止まっていると、歩いては帰れない距離なので
ホテルを探してくれていたのです。
オフィスは寒いし、ストーブ付けたままというのも怖いので、
最悪、市役所で電車が動くのを待ってもいいと思っていましたが、
他の二人が電話を掛けまくっていたので私も・・・

で、繋がって、1部屋空きがあるといわれたのが
由比ガ浜の海岸沿いのホテル。

海岸沿いで大丈夫かな、と思いましたが、
ホテル側が受け入れているなら大丈夫なんだろうな、と思いそこへ泊まることにしました。


残りの1人はオフィスに泊まり、私は車通勤の人にホテルまで送ってもらい、
部屋についてホッとしたのはもう12時ごろ。
夜ご飯を食べる気にも、空腹にもなりませんでした。


ここで初めてテレビを見て、東北地方の惨状を知ったのです。

言葉を失ったし、目を疑ったし、涙が止まりませんでした。


余震が怖かったのでお風呂にも入らず、歯と顔を洗っただけで、
フカフカの羽毛布団にくるまりながら、テレビを見ていたのですが、
相当疲れていたみたいで、余震が怖かったくせにいつの間にか爆睡してました。


翌朝、少し落ち着いてから思ったのは、
部屋を予約したときに部屋の広さや布団の数など聞いておいて、
避難所で帰れなくて困っている小さい子を持つお母さんなどに声をかけて
泊めてあげればよかったということ。
ホテルでしたが私の部屋は和室で8畳くらいあり、フカフカの布団も4組置いてありました。
余裕がなく、気が回らなかったことに反省しました。


つづく…